直言
Chokugen
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直言 ~
鈴木 隆夫(すずきたかお)
一般社団法人徳洲会理事長
2017年(平成29年)7月31日 月曜日 徳洲新聞 NO.1093
NASA(米航空宇宙局)の「アポロ計画」により1969年、アームストロング船長が人類で初めて月面に足跡を残しました。
その三十数年前、カリフォルニア工科大学(Caltech)で、ロケットが大好きな学生たち、宇宙に憧れたいわばオタクたちが、密かにロケット燃料を開発していました。度重なる実験と失敗を繰り返す彼らは、仲間内で「決死隊」と揶揄(やゆ)され、学生の間でも有名でした。ある時、実験中に爆発事故が発生。大学側はこれを処罰しなかったばかりか山中に研究施設をつくり、彼らが思う存分、研究できるよう粋な計らいをしたのです。これが後にジェット推進研究所(JPL)となり、その後、NASAの母体となったのです。
夢の実現に取り組む学生の失敗を寛容に受け止め、後押しする理解者がいたからこそ、新たな技術を世界に先駆けて発展させることができたのです。JPL初代施設長は学生たちを擁護した教授であり、2代目は失敗を重ねた学生のひとりでした。
世の中を変えるのはいつも「変人たち」です。ずば抜けた集中力をもち、異常な執念を燃やし目的に向かう「挑戦者」と言ってもいいでしょう。彼らは一様に一匹狼的で、わがまま、気難しい跳ねっ返りたちです。官僚的組織のなかでは、それを嫌うリーダーは少なくありません。ところが徳洲会は、そうした組織とは大きく異なります。
44年前、医療界の常識にとらわれず、「生命だけは平等だ」という理念と、24時間救急をやり遂げるという信念が、若者を引き付け、北米型救急医療を日本に普及させたのです。
「患者さんのための医療」という信念に、誰よりも熱心に取り組む姿勢があるからこそ、仲間たちを呼び寄せることができました。今後も徳洲会は変わり者の彼らを理解し、寛容し、後押しし続ける組織でありたいのです。徳洲会にとって「異端者」とは、同時に真の「挑戦者」でもあるからです。
今年5月に45歳で亡くなった湘南鎌倉総合病院(神奈川県)の青木豪志(たけし)・前事務部長も、自分の夢に人生をかけた一人でした。彼は同院を日本一、アジア一の病院にする夢をもって、すべての業務に対し真摯(しんし)な態度で、いつも打開策を模索していました。がんセンターをはじめ先進医療センター、外傷センターも彼の夢でした。しかし10年前、病魔が彼を襲います。小腸に悪性腫瘍が見つかった後、何度も手術を受けたものの、がんは広がり、全身転移と闘いながら業務を続けました。私たちに想像もできない痛みに耐えながら、弱音を吐くことなく、夢の舞台から決して降りることをしませんでした。彼はまさに人生を前向きに生ききりました。彼には夢だけが、一瞬でも病の不安や苦痛を忘れさせるものでした。
彼の心の中にある日本一の病院の姿、最高の経営力をもった病院の姿を、愛する家族に「『これが、お父さんのつくった病院だ』と見せたい」と、命が燃え尽きる直前、間に合わないと知りながら私に話してくれました。
彼が亡くなる1週間前に仲間に残したメールに「本当に湘鎌および患者さんのために尽くしてきて良かったと思う。湘鎌を通して、地域に貢献する日本一の病院・組織をつくることのど真ん中にいられ、仕事ができたことを誇りに思うよ。仕事、やりがいを取り上げられた俺の無念は、お前たちが少しでも晴らしてくれな……」。彼の思いは職員たちに受け継がれています。夢追い人の青木は挑戦者を育む上司でもありました。
〈キリマンジャロ(5895m)は氷河に覆われた山で、アフリカの最高峰と言われている。その西の山頂はマサイ語で〝ヌガイエ・ヌガイ(神の家)〟と呼ばれているが、その近くに、干からびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。それほど高いところで、豹が何を求めていたのか、説明しえた者は一人もいない〉(ヘミングウェイ著『キリマンジャロの雪』)
私は豹の屍に青木の姿が重なります。頂上(神の家)の手前で倒れた豹。青木もまた、湘南鎌倉病院を世界一の病院にする夢半ばで力尽きましたが、夢こそが私たちの最大の力の根源です。私は若い人に、いつも呼びかけます。「チャンスがあったら一歩でも高みに登りなさい」と。見える世界が変わり広がるからです。皆で頑張りましょう。