徳洲会グループ TOKUSHUKAI GROUP

ダイジェスト

Tokushukai medical group newspaper digest

2018年(平成30年)6月11日 月曜日 徳洲新聞 NO.1137 四面

クローズアップ
タンザニア腎移植
現地医師による初の手術
徳洲会と東京女子医科大学が協力

徳洲会グループは東京女子医科大学と共同し、3月にアフリカのタンザニアで初の現地医療スタッフによる腎移植をサポートした。技術指導のみならず、移植に関するルールづくりについてもアドバイスを行うなど、同国の医療スタッフだけで移植ができるように体制・環境づくりにも尽力。1例目はドナー(臓器提供者)、レシピエント(臓器移植者)ともに経過は良好に推移している。手術前からさまざまな困難を乗り越え、移植が実現に至った過程にスポットを当て紹介する。

さまざまな困難をクリアし実現

徳洲会創立45周年 国際医療協力特集

手術室で喜び合う現地スタッフと日本からのサポートチーム 手術室で喜び合う現地スタッフと日本からのサポートチーム

タンザニアでの腎移植は同国に対して行ってきた医療協力の一環。徳洲会グループは2003年にアフリカ諸国への支援を開始し、そのなかで最も早く協定書の締結を交わしたのがタンザニアだ。

一般社団法人徳洲会のムワナタンブエ・ミランガ顧問(アフリカ担当のコンゴ人医師)は「徳洲会がアフリカへの医療支援を実質的にスタートさせたのは03年3月です」と説明、徳田虎雄・前理事長が都内のホテルでガボン、タンザニア、セネガル、チュニジア、ウガンダ、コンゴのアフリカ6カ国の在日大使と意見交換会を行った様子を回顧。「病院建設プロジェクトをはじめ、医療について財政面を含めさまざまな議論を交わしました。タンザニアとは同年6月に現地の厚生省事務次官が徳洲会を訪れ、その3カ月後の9月に協定を結んだのです。その後、鈴木隆夫理事長(当時・専務理事)が6カ国すべてを訪れ、支援を広げていきました」と説明する。

湘南鎌倉病院で研修を受ける現地スタッフと面談する鈴木理事長(右) 湘南鎌倉病院で研修を受ける現地スタッフと面談する鈴木理事長(右)

タンザニアには03年と06年に徳洲会職員が視察に訪れた。10年には同国の医師ら4人が来日し、徳洲会病院で研修を受けた。そのうえで、12年に10台の透析機器を寄贈。13年には同国の首都ドドマにある国立ドドマ大学付属透析センターがオープン、徳洲会の医師や看護師、臨床工学技士が医療チームとして現地に1カ月滞在して医療スタッフを指導した。

その後も現地の医師らが湘南鎌倉総合病院(神奈川県)で腎移植の見学を含めた研修を受けるなか、16年にドドマ大学から腎移植プロジェクト支援の要請が徳洲会にあった。ミランガ顧問らが同国を訪れると、現地の厚生省事務次官やドドマ大学副学長、医学部長らから正式に支援を要請された。当時、タンザニア国内では腎移植の環境が整っておらず、移植を希望する患者さんはインドなど他国に赴いて移植を受けていた。

そこで徳洲会は、日本国内で腎移植の実績が豊富なことや湘南鎌倉病院の三宅克典・腎移植外科医長が連携し移植を行っていることから、女子医大に協力を依頼した。

法整備などで延期も

移植前日に別の患者さんの腎摘手術に取り組む三宅医長(右) 移植前日に別の患者さんの腎摘手術に取り組む三宅医長(右)

17年1月、鈴木理事長らが在日タンザニア大使館を訪れ、あらためて意思統一を図った後、4月に徳洲会と女子医大は腎移植トレーニングのプログラムについて協議。プログラムの進め方などを検討し、11月に移植を実施する方針などを確認した。

その後、ドドマ大学の隣にある国立ベンジャミン・ムカパ病院の医療スタッフを徳洲会グループ病院や女子医大に招き研修を行う一方、湘南鎌倉病院の医師や医療スタッフが現地に赴き調査・指導を実施。7月には鈴木理事長や医療法人沖縄徳洲会の篠崎伸明・副理事長、女子医大の吉岡俊正理事長、岩本絹子・副理事長らの出席の下、タンザニア医療支援についての検討会を開催し、大学法人としての協力を得た。

しかし、タンザニアの移植医療に関する法制度などの整備が遅れていたことから、18年3月に移植を延期することを決定。その後、環境が整備されたことを確認したうえで、移植の実施が正式に決まった。

ICUで腎血流をエコー検査 ICUで腎血流をエコー検査

まず第1陣として、3月12日に湘南鎌倉病院の日髙寿美・腎移植内科部長、佐藤勉・検査部主任(臨床検査技師)、吉岡睦美・腎移植コーディネーター(看護副主任)、大野加央里・手術室看護副主任らが現地入り。患者さんの選定や院内の環境、物品の確認を行うなど準備を進めた。

17日から順次、第2陣のメンバーが到着。医療法人徳洲会の東上震一・副理事長やプロジェクトリーダーである湘南鎌倉病院の小林修三・院長代行兼腎臓病総合医療センター長、三宅医長、大和徳洲会病院(神奈川県)の赤羽祥太・外科医師、野崎徳洲会病院(大阪府)の武富太郎・麻酔科部長、女子医大の田邉一成・泌尿器科教授兼女子医大病院院長と奥見雅由・同准教授らが加わった。

手術が終わって喜ぶ武富部長と現地の麻酔専門看護師 手術が終わって喜ぶ武富部長と現地の麻酔専門看護師

腎移植は22日に実施。ドナーは40歳代の女性でレシピエントは兄の50歳代男性。ドナーの腎摘出術を午前10時頃から開始。執刀医は第1術者をレミ泌尿器科医師、助手を田邉教授が務めた。レシピエントの手術は午前11時頃から開始し、執刀医は第1術者をムシャンバ外科医師、助手をムイニ外科医師、三宅医長、奥見准教授が務めた。

日本とは異なる環境や、田邉教授らが腎動脈の血管再建を行った後に移植する必要も出たことから、ドナーの手術は2時間44分、レシピエントの手術は8時間半に及んだ。手術開始から6時間半以上経過し、手術成功の目安となる初尿を確認すると、手術室内で歓声が上がった。東上・副理事長は「彼らの手で成し遂げたことが良かった。感動した」と笑顔を見せた。

国や人種・宗教を越えて

帰国前に患者さんと記念撮影 帰国前に患者さんと記念撮影

今回のプロジェクトは、ノウハウの提供と継続的に行える体制構築のサポートが目的だったため、必要な環境・物品はすべて現地の病院が準備。日本から寄付は一切行っていない。そのため、日本では手術の際に当たり前のように用意される器具や薬剤がなく、他の物で代用したり近隣の医療機関から調達したりするなど困難を要した。

また、手術室が使用できる状態になったのは手術の2日前。三宅医長が稼働するか最終確認し、吉岡副主任は術後の管理スペースとしてICU(集中治療室)の設置を手がけた。

移植候補者の決定も難航。患者さんのなかには脳卒中で亡くなる方も出て、ドナー・レシピエント候補者4組のうち1組しか残らず、加えて免疫学的な検査結果がなかなか得られないことや、移植の可否を判断する宗教家なども交えた協議が厳格を極めたことから、候補者が正式に決定したのは手術5日前だった。「患者さんが直前まで決まらなかったのがプレッシャーでした」と日髙部長。これらの課題解決に努めながら現地スタッフの教育に注力した。

ドナー、レシピエントとも経過は良好。すでに退院し、日常生活を送っている。日髙部長は「腎機能を示すクレアチニン値も安定しています」と説明。「レシピエントは血液透析治療のための通院は必要なくなり“生活が楽になった”と喜んでいます」。

プロジェクトを終え、三宅医長は「現地スタッフだけで、できるようになるまでサポートしたい」と継続支援を約束。さらに「将来的には、ほかの国も支援したい」と意欲を見せた。

他のメンバーからも「タンザニアのスタッフの貪欲な姿勢に自分も刺激を受けた」(赤羽医師)、「徳洲会の海外医療支援の意義を実感できた1週間でした。今後も継続して協力していきたい」(武富部長)、「日本では5分で終わる作業が1時間かかることもあり大変でしたが、皆がひとつの目標に向かう貴重な経験ができて良かった」(吉岡副主任)。

佐藤主任は「現地のスタッフも自分も一層、責任感が強くなったように感じます」と言い、大野看護師はドナーの手術からレシピエントの手術に連続して入ったため、10時間トイレに行けなかった。それでも「患者さんの笑顔を見られた時は感慨深かった」と振り返り、「現地スタッフと日本の医療チームのバックアップのおかげで自分は力を尽くせました」と周囲に感謝した。

鈴木理事長は初尿を確認するため何度も現地に電話し、深夜に尿が出たという報告を受けた。「震えた声の様子から、電話越しに現地で多くのスタッフが感動している様子が伝わり、私も感動しました。国籍や人種、宗教などの違いを越えて助けるのが徳洲会」と今後も国際医療支援に力を注ぐことを明言している。

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